|
 |
障害者によるリサイクル事業 |
| 株式会社ウイズリサイクルとは |
昭和57年12月に株式会社全日本障害者リサイクルセンターとして、障害をもった方々の参加による一般廃棄物処理施設(選別処理施設)の運営管理業務を目的として創設した会社です。
株式会社ウイズリサイクルは昭和62年4月に桶川市リサイクルセンターの運転管理業務以来、平成2年4月には株式会社ウィズウェイストジャパンが埼玉県久喜市に「清久リサイクルセンター(清久工場)一般廃棄物処理施設(選別処理施設)」を設置したこの施設を拠点として、市町村より受託した一般廃棄物処理施設(選別施設)の構内作業について、障害者の雇用の場として管理業務に携わって参りました。
現在、埼玉県内に7事業所、茨城県に2事業所、群馬県に1事業所を設置し、計101名の障害者の方々の雇用により、これまで「ウィズ(WITH)と共に」を合言葉に、ゴミの減量化と資源のリサイクル事業で社会に貢献している会社です。 |
| 会社概要 |
| 社名 |
株式会社ウイズリサイクル(100%子会社) |
| 資本金 |
10,000,0000円 |
| 創業 |
昭和57年12月 |
| 本社 |
〒330-0852
埼玉県さいたま市大宮区大成町2-224-1
TEL 048-652-3090
FAX 048-665-4801
代表取締役社長 山田英人 |
| 沿革 |
| 昭和57年12月 |
全日本身障者リサイクルセンターとして創設 |
| 昭和58年
4月 |
所沢リサイクルセンター開設 |
| 昭和62年
4月 |
桶川リサイクルセンター開設(桶川市リサイクルセンター運転管理業務開始) |
| 昭和63年
4月 |
上尾リサイクルセンター開設 |
| 平成 2年
4月 |
清久リサイクルセンター開設(上尾より移転し本部を設置) |
| 平成 2年 9月 |
東松山事業所開設 |
| 平成 3年
2月 |
株式会社全日本身障者リサイクルセンターとして設立 |
| 平成 4年12月 |
株式会社ウイズリサイクルに社名変更 |
| 平成 5年 4月 |
大宮事業所開設 |
| 平成 6年 4月 |
鹿嶋事業所開設 |
| 平成 6年 6月 |
春日部事業所開設 |
| 平成 8年 7月 |
茨城事業所開設 |
| 平成12年 4月 |
岩槻事業所開設 |
| 平成12年 9月 |
前橋事業所開設 |
| 平成15年10月 |
上尾事業所開設 |
| 表彰 |
平成10年9月10日に労働省、埼玉県、日本障害者雇用促進協会及び埼玉県雇用開発協会の共催により、全国障害者雇用促進大会が開催され、全国の事業主、働く障害者、関係団体等の中から、「障害者を積極的に雇用した事業所、障害者の雇用の促進と職業の安定に著しく貢献した個人並びにその職業生活において模範的な障害者に対し労働大臣表彰を行う。」とし、当社がその評価を受け表彰されました。
更に平成19年に埼玉県雇用開発協会会長より、平成21年には、埼玉県知事より、それぞれ表彰を受けております。
また、当社の従業員も、日頃から真摯に業務に取り組む姿勢が評価され、「優秀勤労障害者」に表彰されております。 |
 |
| 障害者の方々との出会い |
「身障者の方から開けた道・・・」
リサイクルビジネスへの挑戦「1992年6月15日発行 著書 山田文彦(前代表取締役社長)」より
清久工場を見学にいらした方のほとんどがびっくりされるのは、この工場で働いている従業員が障害者であることだ。
わが社では、各自治体と運転業務委託を勧めるに際しては、できるだけ、地元の障害者の参加を勧めている。
表面的には平等社会、平均社会といわれるわが国であるが、一歩中に入ってみると、随所にさまざまな差別が内在していることがあきらかになる。たとえば障害者の場合、自立を図ろうとしても、職場を得るのはそれほどやさしいことではない、というのが現状だ。
そこで私は、障害者の方達の働く場をつくってあげたいと強く願い、清久工場をはじめ、桶川事業所(埼玉県桶川市清掃センター内)、東松山事業所(同、東松山市西本不燃物減溶処理場内)、所沢西部事業所において計70名ほどの身障者の方に参加してもらっている。
日本全国に、障害者は約250万人ほどいるという。ところが、仕事をもっている人はそのうち30%弱。むろん、障害者の程度によって仕事につくことは無理だ、という場合もあるだろう。しかし、仕事の内容さえ配慮すれば、仕事をし、自立できる身障者はもっと大きな数字になると思う。
身障者の方にやっていただいている作業の中心は、流れ作業の工程における手選別が主なものになるが、その能力は健常者と比べて、ほとんど見劣りはしない。もともと、扱っているものが廃棄物であるために、通常の工業製品よりも、誤作業の範囲が広がる、という判断もあった。
待遇のほうも、障害者だからといって格安の待遇ではないと思う。健常者と同じレベルの仕事ができれば、その人には健常者と同じ待遇をすべきなのだと強く思う。
誰も、自ら望んで身障者になるというケースはないだろう。しかし、彼らも持てる可能性を発揮して、自立していきたいと言う思いは強いはずである。その人の一生を保障するだけの蓄えを残せない家庭だって多い。自立することは絶対に必要なシチュエーションにおかれている身障者も少なくないと思う。
正直なところ、わが社の仕事いわゆる「3K」を代表するような仕事であり、人手の確保にはかなり苦労をしていた。そこで、身障者の雇用を始めてみたところ、仕事の内容によっては、なんら支障をきたさないことがわかったのである。
健常者と同等の仕事をこなしている場合は、給与もそれなりものを支払っている。たとえば、所長クラスになると月給40万円弱、新入社員にも11万円強の月給を支払っている。これまで身障者が就職した場合、月に数万円程度の月給をもらう、というケースがほとんどであったようだ。しかし、わが社の給与なら十分に自立できる。自分の力で生きていけるという自覚は、身障者にとっては最大の喜びなのである。
こうして、わが社は貴重な人手を確保し、身障者の方は自立の喜びを手にする。全日本身障者リサイクルセンターは、双方にメリットの大きい制度だと自負している。
といっても、この制度は実は私が発案したものではない。むしろ、身障者の方から開けた道なのである。今、そのことをどれほど感謝しているか、わからない。
きっかけは、所沢の国立リハビリテーションセンターという、いわば身障者のエリート施設からだった。ここは、身障者に時計修理技術、印刷技術といった技術を習得させ、一般企業に就職させる施設である。ところが、せっかく技術を習得し、就職しても、就職先の企業内で有形無形の差別に遭うことが珍しくないらしい。
こうした差別に疑問を感じたある一人の身障者が、たまたま国立リハビリテーションセンター近くにある、わが社のカレット用のストックヤードに目をつけ、自分たちも何かできることがないか、と申し出てきたのである。ここは400坪の用地いっぱいにコカ・コーラの各事業所から集められた空き缶がストックされていたが、その中には空きビンもちらほら混ざっている。まず、これを選別することがリサイクル化の第一歩であることはすでに述べた。この申し出に私どもは、「それでは、このストックヤードをビン、スチール缶、アルミ缶に分別できますか?」と依頼してみたのである。そして、次のような条件を出した。「あなたたちが、本気でやる気があるのなら、まず手作業でこのストックをきれいに分別し整理してみてください。本当に、障害を乗り越えて、リサイクル事業をやる気があるとわかったら、その時点で、わが社はこの場所にリサイクル工場を建て、機械も設置してあげますよ」
すると、3人の身障者の方(後に4人に増えたが)が翌日から作業をはじめ、雨の日も雪の日も分別作業にもくもくと取り組んだのだった。そして、ついにトラック70台分くらいのストックをきれいに分別し終わった。
彼らの強固な意思に、むしろ動かされたわれわれであった。当初、身障者をどう扱ったらよいのか、わからなかったが、しだいに彼らへの見方も変わってきた。彼らはたとえば右手がない人、なのではなく、左手はある人なのだ。残された能力をフルに生かしてもらえば、できる仕事はたくさんある。自然にそう考えられるようになり、今では身障者が主体になって作業にあたっている工場もスタートしている。これが全日本身障者リサイクルセンターなのである。
もともとは廃棄物であるから、品質管理において通常の工場製品よりも誤差業の許容範囲が大きいこともあり、私は身障者の方にとっても、最適な仕事のひとつである、と考えている。それに何よりも、社会的意義の高い仕事である。社会のためになっている、という自覚は、身障者の方の何よりの励みになっている。
|
|
|
|